日本の高級住宅地と豪邸百科 三田(東京)

三田に
高級注文住宅・豪邸を建てるなら
知っておきたい基礎知識

三田の特徴は?

大使館や三井財閥の迎賓館があり、
緑豊かで静かな環境の高級住宅地

都内の高級住宅地の中には、地図に載っていない古い地名があります。「三田綱町」もその中の一つ。「三田綱町」は、現在の港区三田2丁目の高台にあたるエリアです。

鉄道や大きな通りに囲まれた地域のため、交通の利便性が非常に高く、あらゆる方面への移動がしやすい街と言えます。

三田2丁目には慶應義塾大学をはじめ、イタリア大使館、オーストラリア大使館があり、高級マンションも立ち並ぶエリアですが、緑が多く、静かでゆったりとした空気が流れています。

三田の坪単価は?

9606,611 円/坪
※2021年(令和3年) 時点

参照元:土地価格相場が分かる土地代データより
https://tochidai.info/area/mita/

Attraction

街の魅力は?

三田綱町は、1872年(明治5年)から1967年(昭和42年)まで使われていた地名で、江戸時代には見事な庭園のあるお屋敷が建ち並んでいたようです。

綱町の名前の由来は、平安中期の武将「渡辺綱」がこの地に生まれたことから、名付けられたと伝えられています。現在は「綱町」の地名は使われていませんが、マンションや施設などに「三田綱町」の地名が用いられています。

大使館や綱町三井クラブなど、品のある建物に囲まれた風光明媚な街並みは、現在も高い人気を誇っています。

Facility

周辺施設

三田エリア内には大型の商業施設はありませんが、コンビニや「まいばすけっと」「マルエツプチ」「サミットストア」などのスーパーマーケットが複数点在しています。そのほか、ホームセンターやドラッグストアなどもあり、日常の買い物には不自由しない印象です。また、田町駅や白金高輪駅周辺には、ショッピングモールがあります。

三田エリアの北側には総合病院や大学病院があり、医療面でも充実していると言えます。

Environment

子育て・教育環境

三田エリアには、保育園や幼稚園から大学までの教育機関が揃っています。亀塚公園や三田綱町児童遊園、三田台公園など、親子で楽しめる公園も点在。住宅地は商店街のような賑やかなエリアから離れており、落ち着いた環境でのびのび育てられる環境といえます。

Traffic

交通事情

三田地域は、都営三田線・都営浅草線、東京メトロ南北線、都営大江戸線など、複数の路線に囲われています。三田通りや首都高速都心環状線、首都高速2号目黒線、麻布通りなどの大通りに面しており、交通の利便性は非常に高いエリアです。JR田町駅へも近く、どこへでもアクセスしやすいのも魅力でしょう。

Public order

治安事情

三田1丁目から5丁目までの令和2年の犯罪総数は88件。このうち自転車泥棒を含む窃盗犯罪は49件で、詐欺などが32件となっており、粗暴犯は7件に止まっています。凶悪犯罪は起こっておりません。

三田エリアは高層マンションも林立していますが、一戸建ての邸宅も多く、気軽に挨拶を交わす関係が築きやすいようです。周辺エリアを含め、治安は比較的良好で、安心して暮らせるでしょう。

(※1)参照元:警視庁公式HP/区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数

Neighborhood

町内会・自治会の特徴

三田エリア内の地域では、それぞれの区域に町会や自治会が設置されています。防犯、防災、交通安全、募金などのさまざまな活動のほか、イベントやお祭りなども行っています。詳しくは、各町会・自治会へ問い合わせてみましょう。

三田に住む方々の

Voice

三田に住む方々の声_001

JR「田町駅」と都営三田線・浅草線「三田駅」が両方使えるので、通勤だけでなく、休日遊びに行く際にもとても便利です。ただ、大きなスーパーが近所にないので、食材などの買い出しには宅配を利用しています。少し足を伸ばせば、麻布十番商店街があり、東京タワーや六本木も近くて便利です。バスで恵比寿へも行けるので、便利な街だと思います。

(20代/女性)

参照元:スマイティ公式HP/三田駅(東京/港区)の街レビュー

三田に住む方々の声_002

高級住宅地は落ち着いていますが、商店街に出ると賑やか。物価は高めで、オシャレで品のある人が多いと思います。港区にはオシャレなお店が充実しているので、休日を存分に楽しめます。お気に入りのイタリア料理店があり、そこはリーズナブルでどのメニューも美味しいですよ。

(20代/女性)

参照元:スマイティ公式HP/三田駅(東京/港区)の街レビュー

三田に住む方々の声_003

三田は交通の利便性が高く、住みやすい街です。近くに慶應大学があるため学生が多く、飲食店も豊富にあります。活気があふれる街であり、環境も良いと思います。ただ、駐車場の料金は高めで、近くに大型のスーパーや商業施設などはありません。

(40代/男性)

参照元:スマイティ公式HP/三田駅(東京/港区)の街レビュー

三田に住む方々の声_004

少し距離はありますが食料品を買う際は、白金高輪駅近くの「クイーンズ伊勢丹」や、魚籃坂下交差点の「ピーコックストア」を利用しています。クイーンズ伊勢丹は価格設定も高めですが、ポイントが貯まるお得な日もあります。三田周辺は質の高い飲食店が多いですが、田町駅まで行くと飲み屋街があり、いろいろなお店があります。

(30代/女性)

参照元:マンションノート公式HP/三田

Pick up

三田の
周辺スポット情報

慶應義塾大学

数多くの著名人を輩出した、日本の代表的な私立大学。三田2丁目に本部があります。1858年(安政5年)に、福沢諭吉が藩命を受けて開校した「蘭学塾」が起源となっています。1868年(慶應4年/明治元年)の前年に、現在の港区浜松町に移転した際、年号の「慶應」をとって「慶應義塾」に改称されました。

古い建物が多く、カフェテリアには大学外部の人も出入りしていて、自由な雰囲気が魅力的です。

亀塚公園

聖坂を登ったところにある公園。名前の通り公園内には「亀塚史跡」が保存されており、亀にちなんだ遊具が設置されています。また、園内には都内で見かけることが少なくなった、「カントウタンポポ」が保全されています。毎年4月から5月の開花時期に合わせて一般開放されています。桜の木や広い芝生広場もあり、子供から大人まで楽しめる公園です。

2007年(平成19年)には斜面に階段が造られたことで、三田3丁目と4丁目を行き来できるようになりました。

イタリア大使館

綱坂を登ったところに位置しています。現在、イタリア大使館がある敷地は、もとは旧伊予松山藩邸があった場所で、1924年(大正13年)まで旧松方公爵邸として使われていたようです。イタリア大使館が現在の敷地に移転したのは、1932年(昭和7年)のことです。

敷地内は背の高い樹木と塀で囲われているため、中を見ることはできませんが、見事な庭園を備えており、外周を歩くだけでも良い雰囲気が伝わってきます。

三田春日神社

慶應義塾大学の東門の隣、三田通り沿いにある神社です。江戸時代には、徳川将軍家や多くの大名から崇められていたようです。

1945年(昭和20年)には、東京大空襲によって大きな被害を受け、彫刻が見事な社殿も焼失。1959年(昭和34年)に再建され、改修が行われながら現在まで至ります。地域住民からは「春日さま」と呼ばれ、親しまれています。

境内の一角には、藤棚とベンチが設置されており、風景を楽しめる休憩所として利用されています。

クウェート大使館

聖坂の途中に建つ大使館です。建物は日本の建築家として活躍した、丹下健三氏が1970年(昭和45年)に設計したもの。遠くからでも目立つインパクトのある外観で、館内も凝った作りになっています。

2018年(平成30年)には、耐震強度の問題で改築が行われたようです。丹下健三氏が残した数少ない建造物であり、外観を眺めるだけでも見応えがあります。

三田共用会議所

オーストラリア大使館隣、日向坂と首都高速2号目黒線が交わる付近に位置する共用会議所です。もとは渋沢栄一が所有していた私邸のうちの一つで、孫の渋沢敬三から財産税として納められたものを、政府の公邸として使用。その後、共用会議所として使われたのが始まりとされています。

1993年(平成5年)に建物の老朽化を理由に改築され、現在に至っています。重厚感あふれる和を基調にした建物内は、古いもののキレイに整理されており、中庭には喫煙所も設けられています。調度品や絵画なども展示されており、セキュリティーも厳重です。

一般開放や貸し出しは行われていませんが、省庁が行う会議の一部を見ることは可能で、その際に一般人の立ち入りが許可されています。

三田の歴史

江戸時代以前から存在する
歴史の深いエリア

現在の港区ならびに千代田区の一部と、世田谷・目黒・大田・品川区に存在した荏原郡の御田郷は、その昔港区三田から白金、そして目黒区三田までを含む地域として「荏原9郷」に含まれていました。その中でも三田は古い地名に含まれており、935年の文献内に「武蔵国荏原郡郷御田」と紹介されています。皇室へ献上するための米を作る田が存在したため、この漢字が当てられたとする説が有力です。

また、仮名文字が普及される前の書物には「美田」と記されています。一般的に「田」という漢字が付く地名は低地が多いですが、三田は低地だけでなく高台も多い地域です。そのため、「三田」という字は時代の移り変わりとともに変化したと考えられています。

由緒ある社寺が
数多く現存する都市

江戸時代には多くの大名屋敷が建ち並んでいた三田。当時は神社への寄進も活発に行われており、将軍家も参詣を推奨していました。そのため、現在でもこのエリアには数多くの神社が残っており、歴史の深さや情緒を感じさせる雰囲気を感じることができます。

特に注目したい社寺は、今から2000年以上も前に創建されたとされる「御穂鹿嶋神社」です。この神社の入り口が位置するのは、幕末期の薩摩藩の武士である西郷隆盛と「幕末の三舟」の1人である勝海舟が歴史的会談を行った場所。「江戸城無血開城」を叶えた歴史好きにはたまらない場所なのです。「御穂鹿嶋神社」自体はところどころ手直しが施されており、新しさと古さを併せ持つ不思議な外観となっています。神社の周辺には幕末期の動乱の象徴ともいえる「旧薩摩藩邸」も存在。歴史好きにとって、何度訪れても飽きないエリアでもあるでしょう。

工場地帯からオフィス街
・文教地区へと変貌

昭和20年代以降、渋谷川・古川の周辺エリアは小規模な機械金属工場をはじめとした工場地帯として発展していきました。しかし、この時代は川を排水路として利用していたので、工場排水や生活排水が流れ、川はどんどん汚れていきました。

河川の整備が行われるきっかけとなったのは、1964年の国際的大規模スポーツイベントです。世界的なスポーツの祭典は、戦後からずっと行われていた経済復興政策の集大成として下水道や高速道路、幹線道路などの整備に取り組むきっかけになりました。渋谷川の上流や宇田川、河骨川、笄川などは暗渠化され、下水道が引かれるように。古川では首都高速道路が設置され、利便性が飛躍的に向上しました。

また、近年では三田駅周辺エリアに高層マンションが建ち並ぶほか、数多くの企業や教育施設も設置されており、暮らしやすい環境づくりが行われています。

あえて言うなら

気になるポイント

三田エリアは品位ある建造物を有する落ち着いた雰囲気の街である一方で、コンビニなどの生活施設も多く、交通の利便性も高いなど、大きなマイナスポイントは見当たりません。強いてあげるとするならば、大型の商業施設がエリア内にないことです。

また、飲食店は大通りや駅前周辺に集まっているため、不便に感じる方もいるかもしれません。