アールヌーボーとアールデコは何が違う?
アールヌーボーとアールデコはデザイン様式の違い
アールヌーボーとアールデコはどちらもデザイン様式を表す言葉です。ただ、デザイン様式でも歴史や特徴は異なります。アールヌーボーは【新しい芸術】アールデコは【装飾芸術】です。アールヌーボーは、19世紀~20世紀にかけて流行しました。アールデコは、1910年代~1930年代までの流行です。ただ、アールヌーボーも、アールデコも建築や家具にも影響を与えています。建築や家具のデザインでは、アールヌーボーやアールデコという言葉が出てくる場合もあるためどのようなものか理解しておいたほうがいいでしょう。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールヌーボーとは」
アールヌーボーはフランス語で【新しい芸術】を意味します。芸術運動であり、19世紀~20世紀にかけてヨーロッパを中心に流行しました。大きな特徴は、従来の様式にはない装飾性やデザイン性です。伝統的なデザインとは一線を画し、ジャポニズムやアラビア様式やケルト文様なども作品に取り入れられました。
職人のセンスや技術力が発揮された装飾性は当時の最先端で、主に富裕層を魅了したのです。芸術性以外に独自性も生まれ、従来にはない素材も取り入れた新しい試みが、アールヌーボーの作品には多く見られます。家具や食器といった工芸品やグラフィックアートなど、幅広い分野にアールヌーボー様式は影響を広げていったのです。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールヌーボーの歴史」
アールヌーボーは、19世紀末から20世紀にかけて流行しました。理論の確立に大きな影響を与えたのは、19世紀後半、イギリスで起こったアーツ・アンド・クラフツ運動という造形芸術運動です。当時、産業革命による商業主義の結果、製品は大量生産重視でした。大量生産の問題点は、粗悪品の出現です。その状況を問題視し、アーツ・アンド・クラフツ運動を引っ張ったのがイギリスの詩人でデザイナーでもあった、ウイリアム・モリスでした。
大量生産ではなく職人の技術や中世芸術を基本として生活の美化を目的としたのです。1880年代には複数のグループが賛同して社会的な芸術運動になり、イギリス全土に広がりました。結果、イギリスに限らず、ベルギーやフランスにも運動の熱が広がっていったのです。鉄やガラスを中心に、新しい素材も積極的に取り入れられるようになります。結果、アールヌーボーに行き着きました。
1990年のパリ万博が、アールヌーボー展と呼ばれたことからも、時代を象徴する大きな出来事だったのがわかります。第一次世界大戦による社会変化で、アールヌーボーの勢いは止まりました。装飾性、芸術というアールヌーボーは大量生産に向いていなかったからです。しかし1960年代、アメリカでアールヌーボー様式の建築に対し再評価の動きで息を吹き替えしました。アールヌーボーはチェコの画家ミュシャをはじめ多くの芸術の巨匠を生み出しています。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールヌーボーの特徴」
アールヌーボーは、草や花、昆虫のような自然がモチーフです。プラス、自然な曲線で装飾しています。絵や彫刻といった特定分野だけが対象ではありません。建築物なら、外装や内装、家具や食器や装飾品まで、生活に関わる全般がアールヌーボーの対象になったのです。曲線という点は、大量生産への反発が見られます。職人の技術がなければ出せない美しい曲線が特徴的です。
鉄やガラスといった当時新しく出現した素材も積極的に取り入れました。鉄は加工しやすいため、自由度が高い素材として注目されたのです。建物なら、柱や梁や手すりなどにアールヌーボーが生かされました。ガラスも当時の新素材のひとつです。宝石と組み合わせて、従来にはない製品が生み出されました。
アールヌーボーで生み出された製品は熟練の職人でなければ成立しなかったのです。機械による大量生産が主流だったなら、現れなかった作品ばかりでした。
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「アールヌーボーと日本」
アールヌーボーと日本にも関係しています。1900年にパリ万博が開催されたとき、日本は明治33年です。留学していた洋画家の浅井忠や洋画団体白馬会の黒田清輝もパリ万博を訪れています。当時はアールヌーボーの全盛期で、浅井忠や白馬会はアールヌーボー様式のポスターなどを日本に持ち帰ったのです。日本にアールヌーボーが入るきっかけとなりました。
建築の分野でも辰野金吾のような建築家が影響を受けて、ヨーロッパから帰国後にアールヌーボー様式の作品を発表しています。ただ、アールヌーボーは日本の芸術家が一方向で影響を受けていただけではありません。実は、日本の浮世絵がヨーロッパの芸術家に影響を与えていたのです。ウィーンやパリでの万国展覧会では、日本美術も出品されました。植物文様の構成の方法、造形様式は印象派やアールヌーボーに大きな影響を与えたといわれているのです。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールヌーボーの代表的な建築」
アールヌーボー様式の建築は世界各地にあります。実際にどんな建築物がアールヌーボーとされているのか見るとわかりやすいものです。アールヌーボー様式で建てられた建築物をいくつかご紹介します。
アールヌーボーの代表的な建築1.
「タッセル邸階段」
世界で初めてアールヌーボー様式による建築物といわれており世界遺産です。石造りのファサードと有機的な曲線美が独特の世界観を感じさせます。その他、華やかさのある内部は自然光を取り込んでいるのが特長です。アールヌーボー様式全盛期の芸術家の熱量を感じさせる建築物といえます。
アールヌーボーの代表的な建築2.
「オルタ美術館楼」
ベルギーの世界遺産で、アールヌーボーの巨匠といわれたヴィクトール・オルタの自宅兼アトリエです。オルタは建築にアールヌーボーを取り入れた人物としても知られています。鉄骨を使用した曲線美が特徴的で、家具や、モザイク天井やステンドグラスもコーディネートしました。アールヌーボーの魅力がわかる建築物です。
アールヌーボーの代表的な建築3.
「サクラダファミリア」
サクラダファミリアはアントニア・ガウディの作品で、世界遺産にも登録されています。純粋なアールヌーボー様式ではなく、ゴシック様式を組み合わせたゴシック・モダニズム様式です。アールヌーボーを感じさせる曲線や装飾が見る人を圧倒します。加えてガウディのセンスや世界観が反映されている建築物です。
アールヌーボーの代表的な建築4.
「旧松本健次郎邸」
北九州の実業家松本健次郎氏の自宅兼迎賓館で国の重要文化財です。洋館と日本館で、洋館を設計したのは東京駅や日本銀行本店の設計も手がけた辰野金吾氏。外観、内装、家具に至るまでアールヌーボー様式です。植物模様の曲線は、まさにアールヌーボーの特長で、日本において先駆的な建物に位置づけられています。
アールヌーボーの代表的な建築5.
「東京丸の内駅舎」
東京丸の内駅舎は、赤レンガ、白い窓枠が印象的な建物です。天井にも装飾がほどこされ、手すりの曲線美が目を引きます。外観、内観、すべてにわたってアールヌーボー様式のデザインを見ることができる建物です。現在の駅舎は2000年代に復元されたものですが、作られたときのものを使用しています。当時のアールヌーボー建築の雰囲気を感じ取れる建物です。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールデコとは?」
アールデコ【装飾美術】というフランス語を意味します。1910年代の半ばから1930年代にかけて、アールヌーボーに取って代わり、ヨーロッパやアメリカニューヨークを中心に流行しました。
アールデコは、合理的、幾何学図形がモチーフです。アールヌーボーのモチーフは花や果物や昆虫などで、デザインも曲線でしたが、アールデコは真逆です。直線を基本としながらも、正円や幾何学的なデザインが繰り返し描かれています。
色彩に関しても、アールヌーボーと違ってモノトーンや原色に近いカラーリングが好まれました。アールデコもアールヌーボーと同様に、建築物や、家具やインテリア、絵画やポスターや工芸やファッションなどに取り入れられたのです。
アールヌーボーが大量生産の製品を否定し、職人のセンスや技術が前面に出て、芸術の度合いが強いものでしたが、アールデコは機能的、実用的という点にも違いがあります。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールデコの歴史」
アールデコの由来は1925年のパリ万国装飾美術博覧会です。正式名称を「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)】でした。Arts Décoratifs という言葉から、アールデコ博と呼ばれていたため、アールデコと呼ばれるようになったのです。
1925年のパリ万国博覧会では、アールヌーボーの次に来る様式を目標として掲げており、その流れの中でアールデコが現れたのです。第一次世界大戦も価値観が変わる大きなきっかけでした。アールヌーボーのデザインとは真逆の、機能的、シンプル、合理性、大量生産というアールデコの強みが支持されたのです。
ただし、当時のパリ万博でアールデコが全世界を席巻するような大きなうねりにはなりませんでした。流行したのは、第一次世界大戦後のアメリカです。1920年のアメリカは狂騒の20年代と呼ばれ、社会的な大きな動きが生まれました。
高層ビルの建築、自動車の製造、映画やジャズまで、芸術と文化の世界的な中心地になったのです。アールデコ様式は歓迎されて、インテリア、ファッションまで、特に都市部の生活スタイルに影響を与えました。特にニューヨーク・マンハッタンやフロリダのマイアミビーチを中心に花開いたのです。
しかし、アールデコの大量生産、機能的という点は商業主義との結びつきを否定できません。アールヌーボーが商業主義を嫌った芸術家や技術者たちの中から発生した流行でしたが、当時と同様の声が上がるようになったのです。
第二次世界大戦がはじまると、都市文化の衰退がはじまりました。同時にアールデコの流行は一旦終わりを迎えたのです。ただ、1966年のパリの25年代展で、再評価されましたが経済的な混乱が生じ再び衰退。1980年代に再び注目され、1990年代に衰退というように20年周囲で復活と衰退を繰り返しています。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールデコの特徴」
アールデコの特徴は、直線的、合理性、機能性、シンプルです。直線的な特徴はアールデコ様式を取り入れたさまざまな作品で見られます。たとえば、中心の点からいくつもの放射状に伸びる線や、円も正円、円弧、連続的な波模様のような幾何学模様です。
曲線も完全に排除されているわけではありませんが、アールヌーボーほどの自由度はありません。あくまで幾何学的な曲線です。
エジプトの古代文化の影響も反映されています。エジプトの象徴的なモチーフを取り入れました。葦をベースに孔雀の羽を広げたようなフォルムのような扇形のパターンが代表的なデザインです。
カラーリングは金や銀、赤と黒とメタリックな印象があります。家具を見ると、木材や大理石のような自然素材とメタル素材の組み合わせなどがよく見られます。現代でも通用する組み合わせといえます。
見た目でいえばフォントでもわかりやすく、アールデコのロゴやフォントは、定規で引いたような直線的な特徴が見られます。一方のアールヌーボーは柔らかい曲線が目立つのです。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
「アールデコと日本」
アールデコにもジャポニズムの影響があります。逆にアールデコが日本にも影響を与えた相互影響関係でした。実際、アールデコの建物が日本にはいくつか建てられています。アールヌーボーと異なり、技術者や設計者の技術力に依存しないこと、コストも低いというメリットがあるからです。日本以外に、中国の東洋美術、エジプトやアステカ文化の装飾もアールデコの影響が見られます。
アールヌーボーとアールデコは何が違う?
アールデコの代表的な建築
国内外のアールデコを代表する建築物をご紹介します。
アールデコの代表的な建築
「クライスラービル」
1930年に竣工した77階建て、高さ319mの超高層ビルです。建築当時世界一の高さを誇りました。アールデコ建築を象徴する建物です。ニューヨーク・マンハッタンではシンボル的な建物という位置づけになっています。
アールデコの代表的な建築
「ロックフェラーセンター」
ロックフェラーセンターは、アールデコ建築で知られています。オフィスや販売店、飲食店も含まれる服具施設です。低層部の外壁、内部ホールの壁面にアールデコで装飾されているのが特徴です。クリスマスツリーや地下広場のスケートリンクでも知られています。シンメトリー設計の屋上庭園、アーチ型のラジオ・シティ・ミュージック・ホールもアールデコ様式です。
アールデコの代表的な建築
「エンパイアステートビル」
ニューヨークのマンハッタン五番街、1931年に竣工した、地上102階建てのビルです。頂上まで高さ443mを誇ります。アールデコを象徴する装飾で飾られているのがポイントです。特にエレベーターホールの壁画はアールデコの典型的な装飾です。有名映画の舞台としても使われてきました。
アールデコの代表的な建築
「港区白金台東京都庭園美術館」
旧朝香宮邸を利用して1983年に開館しました。美術館のため多くの美術品が展示されています。アールデコ用紙がどのようなものか見るだけで感じられる建物です。緑豊かな庭園も一見の価値ありの、日本現存のアールデコ建築です。
アールデコの代表的な建築
「伊勢丹新宿本店」
東京都の歴史的建造物にも選ばれています。建てられたときから何度も改修はされてきました。しかし、アールデコ様式のデザインは変わりません。店内には美しいアールデコ様式の装飾がほどこされています。買い物のついでにアールデコのデザインを堪能してはいかがでしょうか。
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現代的な先端の感性に伝統の様式美を調和させ、「100年経ってもさらに魅力を深めてゆく」美しい建築作品を生み出し続ける、気鋭の企業。
“森を建てる”をキーワードに、高品質の国産材にこだわり、乾燥技術から加工技術、建築までを協業化した、画期的な産地直送住宅供給システムを確立。建物に命を吹き込む建築を追求し続けている。