建築家 ブルーノ・タウトとは

ここでは、ドイツを代表する建築家ブルーノ・タウトを紹介。日本とも関わりのあったルーノ・タウトの建築の魅力や代表作をまとめています。

ブルーノ・タウトとは

ブルーノ・タウトはドイツのワイマール時代に活躍した建築家・都市計画家です。鉄の記念塔やガラスの家といった作品が高く評価され、表現主義の建築家としても知られています。


タウトが建築家として大きく評価されるきっかけとなったのが、1914年に開催されたケルン工作連盟の展覧会に出品したガラスのパビリオンです。建物全体をガラスで作るために近未来的なデザインと技術が採用されました。


タウトの活動は、第一次世界大戦でドイツ敗戦したことにより、大きく変化することになります。ドイツは戦勝国に賠償金を払うために工業化を促進し、ベルリンなどの大都市に大きな工場を多数建設。地方から集まった労働者は低賃金で働かされ、家も監獄のような状態だったとのこと。この環境を変えようと、ブルーノ・タウトはベルリンの住宅供給公社の主任技師となって、労働者の健康を考えた集合住宅を多数設計・建設します。これらの集合住宅は、日本の住宅公団のモデルにもなりました。


タウトは労働者の味方となる社会主義建築家として認められていきますが、モスクワにまで足を運んで仕事したことからナチス政権ににらまれるように。身の危険を感じたタウトは日本インターナショナル建築会の招待を受け、亡命のような形で1933年に来日。群馬県高崎に家を構えたタウトは、日本の文化と建築についての書籍を多数執筆し、日本の桂離宮の魅力を海外へ広めました。


2008年にタウトが手掛けた4つの住宅団地が、ユネスコの世界文化遺産に登録。タウトが手掛けた団地には住民からの感謝を示す顕彰碑が設置されており、労働者の味方として住民から敬愛された建築家であることが伺えます。

ブルーノ・タウト
建築の魅力とは

ブルーノ・タウトの建築には、どのような魅力があるのでしょうか。

多様な色を使用した色彩建築

ブルーノ・タウトの建築の大きな特徴として、多様な色を使用した色彩建築があげられます。たとえば1912年に手掛けたベルリンのファルケンベルク住宅団地には、活気がでるようにと衝突する色をあえて使用。ペイントボックス団地として知られるようになります。同時期に活動していた建築家のミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスが真っ白な作品を手掛けていたのに対し、タウトの作品ではモスグリーンや青、オレンジ、ポンペイレッドといった強烈な色彩の組み合わせが用いられました。

ほかの建築家の作品とは大きく異なる色彩感覚を建築に取り入れることで、独自の世界観を生み出していました。

建築家 ブルーノ・タウトの
代表作

ブルーノ・タウトの代表作とも言える建築作品をピックアップして紹介します。

旧日向別邸(日本)

静岡県熱海市にある旧日向別邸は、日本に唯一現存するタウト設計の建築作品です。母屋は別の日本人建築家が設計したものですが、母屋完成後に拡張工事を行った地下室部分の内装設計をタウトが手掛けています。

戦後は民間企業の保養所として利用されていましたが、寄付により2004年に熱海市が取得。2005年から一般公開されており、2006年7月にはタウトが内装設計を手掛けた地下室が国の重要文化財に指定されています。

ガラス・パヴィリオン(ドイツ)

タウトが活動初期に手掛けた建築のうち、最も有名な作品です。ケルン工作連盟の展覧会に出品され、コンクリートとガラスを使用した建物と鮮やかな色で展示会のランドマークとなりました。

この作品はガラス産業協会のために設計されたもので、さまざまな種類の建築用ガラスの可能性を実証するのが目的だったとのこと。ドーム状のパビリオンは二重ガラスの外層をまとい、内側には色付きのガラスプリズムがほどこされていました。

ドイツで表現主義が最も流行していた時期に作られたこともあり、表現主義様式の建築として分類されることの多い作品です。

馬蹄形住宅(ドイツ)

1925~1933年にかけて建てられた住宅団地で、設計者の1人としてブルーノ・タウトも携わっています。

25の住宅ユニットで構成された馬蹄形の構造物は中央の池を囲むように配置され、さらにすべての家にテラスガーデンがある社会的な理想を実現。また、当時の基準としては革命的だったのが、すべての住宅ユニットにバスルームとキッチン、独立したベッドルームがあったことです。

馬蹄形住宅はほかの建築プロジェクトと合わせて、2008年にベルリンモダニズム住宅団地として世界遺産に登録されています。

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