建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエとは

ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと並び、近代建築の三大巨匠とされている「ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」。ここでは、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの魅力や代表作を紹介します。

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエとは

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、1886年にドイツのアーヘンにて誕生しました。父は墓石や暖炉などを扱う石工であり、ミースが大学で正式な建築教育を受けることはありませんでした。しかし、ミースは職業訓練校で製図工の教育を受けます。そしてリスクドルフの建築調査部に勤務。漆喰装飾のデザイナーとして経験を積みました。

1906年には、ブルーノ・パウルの事務所へ入所。そこで同僚から紹介を受け、1907年にはリール邸を手がけます。これがミースの初めての作品となり、建築家ペーター・ベーレンスの目に留まったことがきっかけでペーター・ベーレンスの事務所で製図工として働くことになりました。約4年間かけて建築を学び、1912年に退所しています。

その後すぐに独立して事務所を開設。翌年にはアダ・ブルーンと結婚し、ベルリン近郊の富裕層の住宅設計も手がけています。

モダニズム建築の傑作「バルセロナ・パビリオン」を建築

自身の事務所を開設して以降、ミースはさらなる活躍をみせます。1927年には、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加。ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらと共に実験的な集合住宅を建設しました。

また、1929年にはバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館「バルセロナ・パビリオン」の設計も行います。なお、バルセロナ・パビリオンはモダニズム建築の傑作のひとつといわれており、取り壊したのち復元されました。現在はミースの記念館となっています。また、ミースが同館のためにバルセロナ・チェアをデザインしたことも有名です。

週末別荘や超高層ビルも設計

バルセロナ・パビリオンの建設後はバウハウスの校長を務め、アメリカへ亡命。1944年にはアメリカ市民権を取得し、活動場所をアメリカへと移しました。1950年には、イリノイ州にある「ファンズワース邸」を設計。週末別荘として建築されたものでしたが、建築費が予算を大幅に超えたことで施主と訴訟沙汰になったというエピソードもあります。

ミースの代表作としては、そのほかにも超高層ビル「シーグラム・ビルディング」やブルノの「トゥーゲントハット邸」、「レイクショアドライブ・アパートメント」、「ベルリン国立美術館・新ギャラリー」などがあります。


ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ建築の魅力とは

ミースは、しばしば「Less is more.(より少ないことはより豊かなこと)」「God is in the details.(神は細部に宿る)」という言葉を口にしていたそうです。無駄を省いたモダンな建築を得意としており、たとえばファンズワース邸ではミースの建築思想を感じ取ることができます。

ユニバーサル・スペース

ユニバーサル・スペースとは、床・天井・壁、最小限の柱で構成された無駄のない空間です。間仕切りや家具によってさまざまな用途に活用できるのが特徴。ユニバーサル・スペースはオフィス空間に適した概念であるものの、住宅に適応させることで自由な暮らし方を実現できると考えられています。

建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの
代表作

ここでは、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの代表作の一部を紹介します。

バルセロナ・パビリオン

バルセロナ・パビリオンは、1929年のバルセロナ万国博覧会のために建築された施設です。スペイン国王を迎え入れるためのレセプションホールであり、バルセロナ・パビリオンにてセレモニーが行われています。

構成は鉄とガラスが中心となっており、大理石の壁が特徴です。また、室内にはオニキス(縞瑪瑙)や緑色テニアン大理石、トラバーチンといったさまざまな石材が使用されています。

バルセロナ・パビリオンは博覧会後に取り壊されていますが、1986年に復元され、ミースの記念館として多くの人が訪れる場所となっています。

バルセロナ・チェア

バルセロナ万国博覧会の開会式典において、スペイン国王夫妻を迎えるためにつくられた椅子です。ミースはいくつもの家具を手がけていますが、バルセロナ・チェアが最も有名といって良いでしょう。

国王夫妻のための椅子といっても、デザインはミースらしく無駄のないモダンなもの。等しく設計された椅子の幅・奥行き・高さ、白い革張り、Xの形になだらかな流線形を描くステンレスフレームなど、スタイリッシュでありながら上品な雰囲気を纏っています。

ファンズワース邸

シカゴ郊外に建つファンズワース邸は、豊かな緑に囲まれた立地にある、ミースの最後の住宅作品です。

施主は、女医であるエディス・ファンズワース氏。週末別荘としてミースに建築を依頼しました。この土地は洪水のリスクが考えられるエリアであったことから、地上から1.5mほど床スラブをもち上げた高床を採用。また、水平ラインを意識しており、ユニバーサル・スペースの概念を実践した自由な空間も特徴的。ガラスを多く採用することで日当たりの良い空間を実現しており、周囲の緑を楽しむことができます。

シーグラム・ビルディング

フィリップ・ジョンソンと共に設計した、超高層ビル。1958年に建設されており、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されています。

オフィスには仕切りのない空間が続いており、用途に合わせて自由に使用可能。外観もガラス窓とブロンズ枠が繰り返されるシンプルなデザインになっています。

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